自慢

 

なんとなく気が向いた。

ああ、これがはてなブログの空気か。
久しく忘れていた。思えば私の人生が決定的におかしくなっていったのは、文章を書き始めた頃だった。

過去の自分はずいぶんと頭が悪かったが、何者にも己を否定させないという邪気にもとれる情熱があった。それを文章にして出力していた。顔を毟り取って洗濯機に放り込みたくなるほど恥ずかしい過去でも、自分は忘れないでいようと思える程度のものではあった。

今の自分にとって、文章はSlackというツールを使うためのスキルの一つにしかすぎない。
よく先輩に「君は言語化が上手だ」と褒められた。それがなんだか嬉しくて、言語化は自分の武器の一つだと思って生きてきた。

しかし、ここ最近少し考えというか、生理的な部分に変化が起きてきた。
言語化というのが、本来言葉にしなくて良いもの、秘匿されてこそ魅惑的なものを図々しく暴く行為に思えて仕方がなくなってきたのだ。

 

そう考えてふと思い返すと、いつもそばに黙っていてくれたのはやはり音楽であった。
ほとほと自分は芸術家でありたい生物であり、そして何故そうであるのか、その理由の輪郭がこの齢になってよやくおぼろに見えて来たような気もする。音楽は、芸術は、とても曖昧なものだ。自分にとって、曖昧さこそが最後の盾であり、その結論に行き着くことをなんとなく察していたのかもしれない。

 

 

ところで先日、「僕はその時代に生まれなかったから」という楽曲をYouTubeに投稿した。
ありがたいことに今日時点で14万再生を超え、高評価は1.6万、チャンネル登録者数は投稿前と比べて5000人ほど増えた。なお、これは自慢である。

 

直前で曖昧さを美徳としておきながら数字を並べて胸を反らし始める態度は醜悪と断じられても仕方ないが、一旦横に、横の横の横あたりに置かせてもらうとして、この出来事は私に多くの喜びを運んできた。そして真に驚くべきは何一つとして悪いものを運んでこなかったことだ。

ただ自分が好きな楽曲を作って、なんだかおしゃれなタイトルをつけて、素晴らしいイラストを看板にし、放流し、たくさんの人に聴いてもらえた。
言ってしまえばYouTubeのアルゴリズムが為したことだ。
仮にそれだけの話ではないと仮定して、何故この曲がたくさん聴いてもらえたのか、別に分析をしようと思えばいくらでもできることだが、私は単純に、私の楽曲を良いと思ってくれる人がこんなにもたくさんいるのだという事実が、ひとえに嬉しかった。

一方、毎日動画に対してコメントが投稿されていくのを見て、私は少し後ろ向きな覚悟をしていた。いつかは批判的な意見が放り込まれて、誰かがそれに食ってかかって、少なからず荒れたりするものだろうと。

しかし、投稿から2週間ほど経った今でも、その気配は無い。
これだけ多くの人の目に晒されたものに対して、インターネットが冷たくないことなどあるのだろうか。だが実際にコメント欄は今も平穏なままだ。
視聴者の9割は私のことを何も知らない。私がこれまでどんなことを為してきたかも、どんな失敗をしてきたかも知らない。YouTubeのアルゴリズムが運んできただけで、そこにはなんの文脈も無い。
これは私にとって、音楽の原初的な温かさを肌に感じると同時に、我々が日頃いかに本質の横にあるもので騒いでいるのか思い知らされる状況であった。視聴者のほとんどは、私に興味が無い。だから、批判する理由が無い。きっかけが無い。多くの人間はどこまでも人間にしか興味が無く、それを除かれるとどこまでも素直なのだった。

今回起きたそれは、目の前に美味しそうなりんごがあったから、食う。産地など書かれていない。悪趣味な皿に乗せられてもいない。みずみずしくて、美味い。それだけのことだ。たったそれだけのことが起きた。たったそれだけのことを起こし、実感を血に巡らせるのに30年もかかってしまった。
あるいは忘れていただけかもしれない、が、やはり私は「確認したことがなかった」のだと思う。

 

ひっそりと「確認できたこと」が、ついぞ芸術を志し始めた私にとって最大の自慢である。

 

 

 

 

 

何が残せるか

 

 

引っ越した。

 

半年間ほど、 バーチャルYouTuberを運営する会社のオフィスに住み込んで働いていた。朝になれば自動的に始業、夜は社員が全員帰るまで仕事、という環境。悪くはなかったが結構な頻度で気が狂った。流石にこれ以上住み着くのはお互いにとっても得策ではないと思い、物件探しを始めた。

 

新居は割とすぐに見つかった。一人暮らしを決めてから、実際に引っ越すまで、大体1ヶ月ほど。元々荷物が多い訳でもなかったので、「荷物を運ぶ」という意味においての引っ越しは友人達の協力によって数時間で終えることができた。残念ながらネット回線だけは開通が間に合わず、致し方なくiPhoneテザリングでPCをオンラインにしている。あと数日間の我慢とはいえどネットが自由に使えないのはほとんど呼吸困難に近い。

 

「できること」が減ると、必然的に空いた時間は考え事をしてしまう。

 

今現在、僕は「バーチャルYouTuberのプロデューサー」をしているらしい。よくよく考えればいつの間にそうなったのか全く覚えていない。ただ目の前にあるものを最大化しようと必死になっていたら、結果的にそういった立場───「肩書き」に近いものを持っていた。持たされていたというべきか。ハッキリ言ってそんなものはクソの役にも立たない。「バーチャルYouTuberのプロデューサー」という言葉を振り回して今後数十年を生きていけるとは毛ほども思わない。場合によっては数年経たない内に僕は路頭に迷うことになるだろう。このコンテンツを仕事にする、というのは僕の人生において最も大きなギャンブルだったが、「賭けに勝った」と言える日は来ない気がしてしまう。一歩間違えれば崖へ転げ落ちる細い道を、そう認識した上で歩もうとするにはあまりにも若すぎた。予防線もバックアップも何も無い。自ら背水の陣を敷いた記憶も、無い。要するにアホが運良く生き残ってるだけの状況だ。

 

まぁ、正直僕はそれでいい。死にたくはないが、死んでも仕方ない。元々どうしようもない愚図な人間だったのだから、むしろ身にあまる幸運を享受しているとも言える。

 

だが、なんと定義すればいいかわからないので一旦は「彼女達」としておくが、彼女達に関しては別だ。

 

僕が潰れようが潰れまいが、他人を巻き添えにしていい理由はどこにも無い。人生の貴重な「若い期間」を割いてくれている彼女達に、僕は少なくとも何かを残さなければならない。僕は前述した通り自分が潰れてしまうリスクを承知の上で活動しているが、彼女達にその覚悟はあるのだろうか。たぶん、「無い」のが当然だ。実際どうかはわからないし確かめる術もないが、少なくとも僕はそう仮定しているからこそ頭を悩ませている。

 

総称して「バーチャルYouTuber」と呼ばれる彼女達が、いつかその終わりを迎えるとして、その手元に一体何が残ると言うのだろう。経験は確実に残るものではあるが、それが「失敗としての経験」であって欲しくないのは、ひょっとすると僕のワガママなのかもしれない。勝手に自分で活動を始めて、勝手に辞めていくのならば知ったこっちゃないが、そうではないパターンもある。構造上、実績も残りづらいかもしれない。そして何より厄介なのは、「前例」が少なすぎることだ。最低限どこを目指すべきなのか、結果的にどうあるべきなのか、そんなことすらもぼやけている。これが独特な悩みなのか、あるいは他のコンテンツにおいても似たような状況がままあるのかすらわからない。それでも「頑張ってやっていく」のだが。

 

そもそも、いつか終わってしまうのを想定していること自体が間違いで、ネガティブなのかもしれない。

 

しかし、他人の「若さ」を背負っているという状況と向き合いもしないまま事を進めていくのは、きっと間違っていると思う。

 

そして、同じような気持ちで僕という人間を見てくれている人は、僕の若さを背負おうとしてくれている人は、どこかに一人でもいるのだろうか。